池袋ウイロード再生事業 植田志保さんの色使いと池袋との不思議な縁
池袋ウイロード再生事業 植田志保さんの色使いと池袋との不思議な縁
投稿日:2019年12月02日 (月)
代表の原田です。
前回の続き、池袋ウイロード再生事業のお話です。
前回のブログはこちらから
ブログ:池袋ウイロード 再生事業に参加しています。
https://www.haradasakan.co.jp/9903/
暗い、汚い、怖いというイメージがあったウイロードを再生するために、豊島区が美術作家の植田志保さんに依頼をしました。
(美術作家 植田志保さん 東京新聞TOKYOWebより転載)
植田志保さんは「色のすること」をテーマに色と対話しながら美術作品を作っていく、美しい色使いに定評がある作家さんです。
植田志保さん ウイロード再生事業についてはこちらをご覧ください。
東京新聞WEBサイト
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201909/CK2019092002100023.html
今回の再生事業はライブペインティングのように制作風景を見せるというのも一つの話題でした。
植田志保さんの製作風景はウイロードの壁面では透明なアクリルの仮囲いの中で行われ、通行する人が製作の様子を見学できるようになっていました。
また、天井部分はパネル製作を池袋駅前の仮設スタジオで行っていてそちらも製作の様子を見ることが出来ました。
以前とは見違えるくらいカラフルに、明るくなりました!
壁面、天井は植田志保さんが製作をしましたが、正面の部分は左官の作業が取り入れられることになり、ご縁を頂き当社に声を掛けていただきました。
実は当社の初代は南池袋に住んでいました。
(初代 原田辰三 昭和40年撮影)
(住まいは今の西武デパートの辺りだったそうです。)
東京大空襲の時に根津に避難し、その後現在の田端・千駄木の地に落ち着きました。
豊島区池袋とは原田左官はそのような縁があり、今回声を掛けていただいたことを非常に光栄に思っています。
原田左官はウイロード再生事業では東口・西口のファサード部分を協力させていただくことになり、植田先生が作り上げるものを当社で試作し、共同で作り上げていく方法で行いました。
施工内容はこのウイロードのファサードを作ること。
解体後の現状はこんな状態でした。
原田左官のリーダーは美術担当の斎藤君。
こういった造形の仕事のセンスは抜群です。
ベテランの堀越さん、横山さんもサポートしながらの製作になりました。
植田先生には何度も当社に足を運んでいただきました。
植田先生と斎藤君と試行錯誤しながらあの空間に合う壁面をじっくりと考えていました。
イメージは柔らかなもの。
仕上げ材はやはり優しさのある「漆喰(しっくい)」に決定しました。
柔らかな曲線をあらわすため、スタイロフォームでおおよその形状を作成し、その上に漆喰を塗ることになりました。
漆喰の質感はこの曲線にあいますね。
こうやって試作を繰り返しながら、現場の下地を作成していきました。
これからいよいよ現場作業です。
続きは次回のブログへ
続きのブログはこちらから
池袋ウイロード再生事業 しっくいで包むファサード
https://www.haradasakan.co.jp/10089/